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2009.07.06 Monday

幼い恋

JUGEMテーマ:写真

幼い恋

幼い恋                             中村俊亮


ゆるしてくれなかったあやまち
ぼくはやわらかく忘れようとした
なんにもなかったことにしよう と
高利貸のきげんのようにげんまんした
いちどにぶりかえした ブギウギ
いちどに忘れた(星はなんでも知っている)
おそるおそる ふたたびおもいだした
あなたは誰のもの
<<しらない男のもの>>
ぼくらの恋は誰のもの
<<とおいむかしの紙かぶとのもの>>
ほいー このぼくは誰のもの
<<返事がないこだまの>>

2009.05.14 Thursday

汚れた悲しみ                    詩 中村俊亮

JUGEMテーマ:写真
虚無
写真は、「詩」とは関係ありません。
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2007.01.14 Sunday

ソネット −ノクタァンー

ノクタァン
ソネット -ノックタァン-    中村 俊亮

よるが ひとすじに におってくると
ぼくの おんなは
つめたいこころになって
ぼくの においから とおくなる

なつのたいようをたべた ぼくのはだは
きらきら きらきら
あついほど とうもろこしのはだにむかう
ぼくはおんなのぶらじゃーにこする ほ
 んとうのせんりつ

よるのこえは あまだれ
ぼくのこえは かんなのそよぎ
あのながれのはやいぎたーのおとは にじ

ぼくは しろい ちぶさのなかでねむる
おんなはよあけのすずのようなこえで
ささやく <うつくしいものは いつまでも うつくしくしておきましょうね>
2006.08.14 Monday

ソネット ―いつのまにか―

Cup

ソネット ―いつのまにか―    中村俊亮

いつのまにか愛の中でうまれ

いつのまにか死の中でほろび

いつのまにか尋ね人ありの初夏を迎える

とつぜん 人が神様に見えたりする


いつのまにか誰かの宇宙がかすみ

いつのまにか誰かが乳の匂いをさせてくる

人には眠っている人と起きている人がいる

だんだん僕も眠りたくなるだろう(か)


僕らは人ごみの中で愛を知り

僕らは世界の中で思想を知り

わからないもののために苦しみだす


いつのまにか僕の愛とおまえの愛が

 親しくなり

いつのまにかやさしくおまえの名をよぶ

最初の血がぼくとおまえの歴史をつくる



詩集イエスタデイ より





2006.07.13 Thursday

ソネット    ―少女―

ソネット
ソネット    ―少女―  中村 俊亮

僕ははじめて世界を知り
僕ははじめて青空を知り
僕がはじめて悲しみを知ったとき
僕を愛してくれる人をはじめて知った

なわとびから 石けりを終えて
母でない母の乳房を夢みて
青空をのぞきたがる血の驚きを知る
大きく 大きく 世界をはじめてのぞいたときよりも

僕の血だけが眠れないと思ったら
少女の血も眠れない 僕らはひとつの愛を
鏡のような血にうつす べつべつに―

僕は空想する 僕の血の未来を
僕は空想する 少女の血の未来を
少女は星のブランコに乗って じっと誰かを待っている
2006.06.06 Tuesday

夏の少年   中村俊亮のこと  村上善男

名刺
水晶 4号(1991) 終刊号 特集 から
        解説 夏の少年 中村俊亮のこと   村上 善男(美術家)仙台在住のころ

 盛岡に帰っても、葺手町は通らない。
 葺手町は、例の、町名改悪行政の後、どんな町名になったかはしら
ないが、和菓子で知られる「松葉屋」と、不動尊の町であることだけは確
かである。
 誠に懐かしい町だが、私は今は通らない。
 老舗の「松葉屋」が、いつの頃からかハイカラになって、洋菓子も扱
い、二階に喫茶を構えて、主に買い物帰りの主婦たちに人気があった。
多分、今もそうだろうと思う。
 その喫茶室で、中村俊亮が働いていた。
 たしか私が、美術コレクターとして面識のあった店主のT氏にたのん
で、中村を採用してもらったのだった。
 それ以前は、大手先の「北ホテル」の中にあった「窯」という喫茶室
に勤めていた。つまらぬ瑣末な経過ではあるが、ありていに記せば、
「北ホテル」は当時、「菊屋ホテル」といって、どちらかといえば、和
風の印象を与える旅館であった。主人の菊池政美は国画会に所属する彫
刻家でもあり、独特のセンスの持主であった。ことのほか「窯」に力を
入れていた菊池に、中村に紹介したのも私である。これらの二つの就職
は、浪人中村の漠然たる就職の希望にこたえたものにすぎないのだが、
中村が特に、「窯」や「松葉屋」を指定し、希望したわけではない。
 その以前は「サント・ノーレ」とかいう喫茶店で働き、さらにそれ以
前は「風車」というバーで、つまり、なんらかの事情が生じ、次々店を
移っていた。
 恩着せがましくこのようなことをしるしているのではない。ただ中村
をめぐり。この程度のドキュメントも、中村の周辺でさえ正しく伝えら
れているかどうかを、あやぶんでいるからだ。(小瀬川了平《後出》が
最も詳しいはずである。)
「菊屋ホテル」が「北ホテル」に変容する祭、その工事中に失職した中村
は、前出の「松葉屋」に移った。(「北ホテルの完成時、再び採用される
メンバーから、中村はもれていた。ホテル側の事情といえばそれ迄だが、
新しく生れ変わるだろう「窯」には、中村の持つキャラクターでは少しば
かり雰囲気が重くなる、との判断だろうと私は勝手に推察した。)
 さきに、葺手町は通らない、通れないと書いたのは、中村と私の交遊
の深部の大半が、「松葉屋」喫茶室に於いてであったので、その一コマ一
コマが、思い出すだに辛く、足をふみ入れがたい、ということだ。
 一階から二階にかけて、ふさふさとした枝葉の蔦がおおい、そのすき
間から、レジに立つ白衣の男の姿がのぞく。それが中村では、今はない
のだと思えば、やりきれない想いがする。
 中村との交遊は、「モンタン」時代にさかのぼる。「モンタン」といっ
ても、今は知る人も少なくなったが、菜園の大キャバレーSに折れる
角に、最初はシャンソンを主としたレコードをかける店で、次にモダン・
ジャズに変わった盛岡一の、これこそモダンな店であった。コーヒー店で
あったが、トマトジュースもよく似あう、丁度、東京は駿河台の明治
大学裏手にある「レモン」のような店である。設計者が同じと聞いた。
(店主・小瀬川良平)
 「モンタン」は、小瀬川の都会的でシャレたセンスが開花した誠にハ
イカラな店で、若手の画家や詩人、それにジャズマンが夜毎に集まった。

つづき

(因に「モンタン」の前身は「どん底」という酒場)
 その円形のカウンターの中で、時々にシェイカーを振っていたのが中
村で、そのコーナーは、きらきら光っていた。50年代後半から60年
代初期にかけ、私も「モンタン」の常連であり、連夜勤務先からまっす
ぐに、そこに駆けつけた。
 これといった店のほこるべき調度品があるわけでもなく、ただ自由な
空気とスペースだけがあった。詩人・高橋昭八郎を通じ、ジャズ批評の
清水俊彦(詩人)と出合ったのも「モンタン」だし、中原祐介の選によ
る美術賞<モンタン賞>が企画されたのも「モンタン」である。
 中村は、<モンタン学校>の師であり、生徒でもあった。
 不意に、美術出版で「美術手帖」を編集していた岡田隆彦(詩人)が、
村上と中村を訪ねてきたのも、「モンタン」に於いてである。「史乃命」
の詩人岡田は、中村詩のファンでもあった。
 あの時代は、一体なんだったんだろう。
 ある日、加賀野に住む私の家に、中村は、一人の男をともなってやっ
てきた。村上昭夫(詩人)だった。これといって定職のない頃の中村と、
病弱で、もっぱら自宅で静養中の村上昭夫は、なにひとつふるまうこと
のできない私の家の四畳半の板間に、べったりと座して延々と語った。
 信仰的断定としかいいようのない昭夫の持論は、もっぱら賢治を後ろ
盾とし、中村は啄木を前面におしたてて論戦した。私は、美術作品を制
作するだけがとりえの、誠にみすぼらしい画家だったので、二人のやり
とりを、ぼんやりとながめていた。
 この記憶は、以前詩誌「火山弾」に書いたのでここではくりかえすまい。
 中村俊亮に、<退学>という詩がある。(後に<愛なしで>に収めた)
その最終章はこうである。

  ぼくの弦楽器は
  きみらの金ボタンを見るたびに
  夏蝉のように泣く

 中村の現実の退学体験はつまびらかにしないが、私の記憶にまちがい
がなければ、彼ははじめ盛岡工業高校の普通科に入学したはずである。
(当時は、高松高校という名称だったかも知れない。)
 <きしむ/ぼくの背中のレール>の痛みと、<どもりどもりの咳>に
よって、またその他の事情によって退学を余儀なくされた体験は、<き
みら>であるところのすべての高校生達の<金ボタン>をみるたび、い
いようのない怒りと、無念さが湧く。その弧絶した一人の少年の青春時
代のいたましさを、読む者につきつけずにおかない。
 その後の少年の魂の放浪は、<夏の少年>にも鮮やかに表出されてい
る。<僕はもぐらの子のように/しずんだ日陰をあるく>(「愛なしで」
 私は、中村俊亮の詩業のなかで、「愛なしで」の一連の作品に強くひ
かれるのは、すべて限られた平凡な語彙(平凡とおもわれるような)を、
少しも無理をせず、方言を巧みにあやつる少年のようにつかいこなした、
そのナイーブな感覚に吸いよせられる故だと思う。
 中村は、教条主義的詩業をひどくきらった。なにより断定をきらった。
 その故だろうか中村は、かっての詩の仲間であり、中村の生活そのも
のを心配し続けた大坪孝二を慕っていた。仁王新町の大坪一家を慕って
いた。国鉄職員であり、同時に生活派詩人であり続けた大坪に、全面的
信頼を置いていた。また若い年少の詩友を大切にしていた。
 同時に、晩年はことに、「教育」という場の職業にある詩人をまった
く信じていなかった。せっかちなほど切りすて、信じなかった。<退学>
の詩人は、自分を排除した制度を憎悪しながら、その逆の位置でさりげ
なくうたった。また、うたうことができた詩人である。
 中村の死にいたる経過に、私は宮城県出身の詩人尾形亀之助のそれを
重ね、それがぴったり重なるだけに、。。とした気持ちに襲われる。
 この時代は中村俊亮のような詩人が出がたいように流れている。
                          (美術家)


美術家 村上善男さんについて
四    季 2006.05.21 この日・・
イエスタデイ 2006・05・26 おお ひばり  に記した。

   
2006.05.26 Friday

おお ひばり

書簡
通信封筒  (村上善男から中村俊亮にあてたのも)     '83.04.05    シャヴァンヌ(受)


おお ひばり            中村 俊亮

あなたから地球儀をおもらいに
 なった9月いらい
あいびきの取引を
なんとなくやらなかった
なんとなく
おお ひばり
なんとなく
しごと休みの昼下がり
いきなり地球儀をまわせば
あなたのこんもりまぶしい海は
どこかの男に
けだるく あかく きいろく
はぎとられていた
ア・ゴーゴー
あめふり羊かん
ファンキーレディ
恋のはしかは回復中
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